日記

10年くらい前から日記をつけている。書いたりかかなかったりなので、継続しているとはいえない状態で、おおよそ年初や大型連休時等は何日も枠いっぱいにビッシリと書いてあり、それ以外の期間は2ヶ月以上何も書かれていなかったりといった感じだ。

 

ただ、毎年毎年、必ず「仕事で大成する」的な事を書いている。もちろん、セットで現在の仕事状況が如何に糞か、誰それが如何にひどいか等も書き連ねられている。

 

前回のブログでも書いたが、私は前々から社会不適合であり、どうしてもどの社会でも生き難さを感じていた。それは社会人になってから始まったことではなく、幼少の頃からそういった感がある。

 

私は学生時代周りに比べズバ抜けて頭が良く、運動や遊びも出来ない方では無かったので、おのずとその時その時形成される集団の中心的位置で過ごしてきた。話をする場合も中心となり、いわゆる回す立場になる事が多く、またそういった立場でないと居心地が悪いというか、嫌だった。

 

しかし、そのどの集団でも私へのアンチ的な者がいて、一部の人間とは合わないという事はしょっちゅう有った。いわゆる誰とでもうまくいくタイプでは無かったのだ。

 

社会人になってからはそれが顕著になって、合う合わないがハッキリしてきた。また、学生の頃に比べ、合わない人間達のスキルが大幅に上昇しており、たいていの場合、社会的な評価として彼らに敵わなくなってしまったのだ(私は媚びを売る人間、それを生業としている人間が大嫌いであり、得てしてそういった人間は取り込みや処世術に長けている為、負けてしまうのである)。当然、圧倒的なスキルが有れば押さえ込みも可能かとも思うが、私の能力程度では、また私が行っている職種では、現在迄は負けが続いているのである。

 

この状態を不満ととらえ、毎回毎回、日記に書き記していたのである。

 

まあ、こういうことを振り替える為に日記はあるのだが、なんと情け無い事だろう。やはり奮起して立ち上がり、圧倒的に満足する人生を得なければいけない。そうしなければ、結局、どんな言い訳をしても、私の負けなのだから。

社会悪

日々思う事が有る。

何故こうも生き難いのか。皆あえて住みにくい社会を形成しようとはしてないだろうに、どうしてここまで難しいのか。

 

私の会社もそうである。

 

類に違わず老害が居座っており、媚び売りだけで生き残ってきた馬鹿達がのうのうと幅を利かせている。親会社から出向してきたこの老害には社長でさえ全く意見出来ない状況で、今では社長も金魚の糞の一人と化している。

 

老害が笑えば皆笑い、一人を責めればよってたかって加担する。その責め方が老害の意図をいかに汲んだものにするかだけに気を使い、老害の顔色、表情、うなづき等を逐一確認しながら責め手に工夫を凝らしていく。老害の方もまた馬鹿で、その状況を大いに満足しており、そこに疑念や後ろめたさ等微塵も感じず、やはりより従順な者を褒め称えるというどうしようもない状況である。

 

しかしこれは私の会社が特別なのかといえば、決してそうではない。現に一つ前の会社でも、ここまでひどくは無かったにせよ似たような構図が存在した。またネットなどで世の中の声を聞けば、こういった類の話はあまたに溢れている。

 

…ようは、日本は腐った、あるいは元々こういうものなのだ。

 

だったらそこに汲み入れば話は早いのだろうが、そうはいかない。

俺は信頼する妻の旦那、愛する子供の親、偉大な親の子供だ。あんな畜生道に堕ちるわけにはいかない。どうあがいても勝てないと分かっていても、そのあたりのプライドと価値観は落とすわけにはいかないのだ。

 

おのずと、違う生き方を選ぶ必要がある。社会というものがすべからくそういったものならば、こちらが離れるしかないのだ(社会自体を変えるという選択肢もなくはないが、あいにくそこまでの使命感や社会に対しての義理も感じていないため、その労力を使おうとは思わない。)。

 

社会人からの離脱。それはまさに安定からの離脱。正直並大抵のことではないので、出来る事なら避けたかった。

 

しかし現在、コロナウイルス蔓延に対しての恐怖と社会の狼狽ぶりを筆頭にあまりにも想定外の事象が起こりすぎており、馬鹿に人生を委ねておける時代では無くなったと本気で感じた為、嫌が応にもこの重い腰を上げざるを得なくなったのだ。

 

方法はまだ見えない。もちろん今の生活もすぐには変えない。しかし、このブログを書き出す事で動き出す事には成功した。幸いIT化が急激に進んだこのご時勢、サービスさえ良ければ結果は出ると思っている。

 

出発だ!