社会悪

日々思う事が有る。

何故こうも生き難いのか。皆あえて住みにくい社会を形成しようとはしてないだろうに、どうしてここまで難しいのか。

 

私の会社もそうである。

 

類に違わず老害が居座っており、媚び売りだけで生き残ってきた馬鹿達がのうのうと幅を利かせている。親会社から出向してきたこの老害には社長でさえ全く意見出来ない状況で、今では社長も金魚の糞の一人と化している。

 

老害が笑えば皆笑い、一人を責めればよってたかって加担する。その責め方が老害の意図をいかに汲んだものにするかだけに気を使い、老害の顔色、表情、うなづき等を逐一確認しながら責め手に工夫を凝らしていく。老害の方もまた馬鹿で、その状況を大いに満足しており、そこに疑念や後ろめたさ等微塵も感じず、やはりより従順な者を褒め称えるというどうしようもない状況である。

 

しかしこれは私の会社が特別なのかといえば、決してそうではない。現に一つ前の会社でも、ここまでひどくは無かったにせよ似たような構図が存在した。またネットなどで世の中の声を聞けば、こういった類の話はあまたに溢れている。

 

…ようは、日本は腐った、あるいは元々こういうものなのだ。

 

だったらそこに汲み入れば話は早いのだろうが、そうはいかない。

俺は信頼する妻の旦那、愛する子供の親、偉大な親の子供だ。あんな畜生道に堕ちるわけにはいかない。どうあがいても勝てないと分かっていても、そのあたりのプライドと価値観は落とすわけにはいかないのだ。

 

おのずと、違う生き方を選ぶ必要がある。社会というものがすべからくそういったものならば、こちらが離れるしかないのだ(社会自体を変えるという選択肢もなくはないが、あいにくそこまでの使命感や社会に対しての義理も感じていないため、その労力を使おうとは思わない。)。

 

社会人からの離脱。それはまさに安定からの離脱。正直並大抵のことではないので、出来る事なら避けたかった。

 

しかし現在、コロナウイルス蔓延に対しての恐怖と社会の狼狽ぶりを筆頭にあまりにも想定外の事象が起こりすぎており、馬鹿に人生を委ねておける時代では無くなったと本気で感じた為、嫌が応にもこの重い腰を上げざるを得なくなったのだ。

 

方法はまだ見えない。もちろん今の生活もすぐには変えない。しかし、このブログを書き出す事で動き出す事には成功した。幸いIT化が急激に進んだこのご時勢、サービスさえ良ければ結果は出ると思っている。

 

出発だ!